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日中医学協会ブログ

コロナ禍での大学院訪日受験体験記―全3回シリーズ【第2回】

2021/06/07

コロナ禍での大学院訪日受験体験記―全3回シリーズ【第2回】

 日中笹川医学奨学金制度研究者第43期研究者の葉盛さんが、2021年1月、コロナ禍で訪日し奈良県立医科大学の博士課程を受験しました。
 新型コロナウイルス感染拡大で刻一刻と状況が変わる中、日本入国ビザの申請から受験を終えて帰国するまでの出来事の詳細を手記にして送ってくれましたので、3回シリーズでお届けします。是非ご覧ください。

希望を持ち、努⼒し続けることが⼤切-コロナ禍での⼤学院訪日受験体験記

           葉盛 南京赤十字血液センター成分採血科 副主任医師    

 

    第1回   中国出国までの長き道のり~日本の緊急事態宣言に翻弄されて
    第2回   日本入国から入試の日まで~日本人の優しさに触れて
    第3回   大学院入試から帰国まで~受験できた喜びを噛み締めて

 

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(第1回をご覧になりたい方は、こちらをクリックしてください)

 感染防止対策のため、搭乗するまでに多くの手続きが追加されたため、航空会社の指示に従い、南京禄口国際空港には出発の3時間前に到着した。手荷物を預け、チェックインし、スマートフォンで中国出入境辺防検査機関(China Immigration Inspection)と厚生労働省の電子フォームに必要事項を入力した。入力項目が多く、座席番号もその一つで、搭乗券も必要であった。入力が完了すると自動的に2つのQRコードが出てきた。これをスクリーンショットで保存し、日本入国時と中国帰国時に提示する。その後、検温などの一連の手続きを経て、ようやく搭乗口に到着し、搭乗時刻を待った。

 12時40分発の予定が気象事情により15時30分発となったが、2時間半のフライトは順調で、乗務員の指示に従い、事前に入国カードと申告カードに記入し、厚生労働省のQRコードも準備しておいた。

 飛行機は無事に関西国際空港に到着した。到着後、感染予防のため、乗客全員がグループに分かれて、空港スタッフの後について飛行機を降りた。先ずエピデミック調査があり、他の地域、特にイギリスや南アフリカなど変異種が発見された国での滞在歴の有無、発熱や咳など新型コロナウイルス感染症の典型的な症状の有無について聞かれた。もともと、日本に入国する乗客は全員空港でPCR検査を受け、陰性結果が出た者が入国できると聞いていた。それには空港内で2時間以上は待たなければならない。幸いなことに、中国からの入国者は、PCR検査は不要だった。新型コロナウイルス感染症の症状や感染者との接触歴が無いことを確認された後、検温へと進んだ。貴重な時間を大幅に節約することができた。中国における新型コロナウイルス感染症の予防・抑制対策の成果が、日本でも十分に認識されているのだ。検温後、長く曲がりくねった廊下を歩き、空港検疫所に到着した。ビザ申請時の誓約書を提出し、QRコードを提示した。検疫所の職員がビザの種類を確認し、ビザの種類欄にチェックを入れた黄色の書類と青色の書類をくれた。この2つの書類でようやく入国手続きができる! 私は飛行機が離陸してからずっと野球帽を被りN95マスクを着用し、着陸時にはさらに使い捨ての手袋とゴーグルを装着して、その恰好のまま3時間以上もいたためマスクで耳が痛くなり、早く最後の税関検査まで進みたいと思っていた。入国審査で、防護用品をすべて外すよう求められた。嬉しかった。顔写真の撮影と指紋採取の後、スムーズに入国することができ、ようやく緊張から解放された。

 手荷物受取所で荷物を受け取り、到着ロビーへと向かった。慣れ親しんだ関西国際空港の到着ロビーは記憶の中のロビーとはあまりに異なり、閑散としていて、一瞬目を疑った。関西空港駅のJR線乗り場にも南海電鉄の切符売場にも、人影はほとんど無かった。この状況を目の当たりにし、感慨深いものがあった。

 翌日、奈良県立医科大学がある奈良県橿原市に到着した。橿原市は大きな都市ではないが、悠久の歴史があり、紀元前7世紀、初代天皇である神武天皇が即位の礼を行った宮址に創建された橿原神宮があり、市名の「橿原」もこれに由来している。その後、飛鳥時代に天武天皇と次代の持統天皇が、7世紀終わりから8世紀初めにかけて、橿原市にある大和三山のちょうど中央に日本最初の大規模な都城である藤原京を造営した。

 私は、大学近くのアパートに入居した。午後、松本教授と教授秘書の松浦氏がアパートに来てくれて、アパートの出入口でマスク姿であったが話をし、温かい歓迎を受けた。14日間の自宅待機のために、様々な食材と生活用品を持ってきてくれた。自宅待機中は外出することができないので、毎日ドア越しに日光浴をしながら、窓を開けて換気をした。毎日、厚生労働省の公式LINEアカウントと日中医学協会に健康状態を報告し、受験勉強に励んだ。皆が14日間も外出できない私の精神状態を心配してくれたが、毎日が実に充実していた。中国にいる時は仕事が終わってからしか勉強することができなかったので、この14日間はとても貴重であった。毎日朝から晩まで計画を立てて、勉強に打ち込んだ。
 自宅待機中に日中医学協会から応援のメッセージとお菓子が届いた。とても感動した。美味しいカステラだった。コーヒーと一緒に頂くと、午後の脳にエネルギーが充電され、よし、頑張ろうという気持ちになった。

 

 この間にも日本国内の感染者数が増え続け、日本への入国制限はどんどん厳しくなっていった。1月14日には、すべての国からの新規入国が完全に停止されることになり、ビザを所持する外国人は1月20日24:00より前の入国を余儀なくされた。この措置は2月7日の緊急事態宣言解除までの予定であったが、国内の感染状況が改善されない場合は、引き続き延長される可能性もあった。このことについて松本教授と話をした時、先生は「ラッキーだったね」と嬉しそうに仰った。私は、笹川同学会と日中医学協会のスタッフの方々に心から感謝している。彼らのサポートと協力のおかげで、新型コロナウイルス感染症の第三波の中でも、日本で大学院博士課程の入試に参加することができた。振り返ってみると、日中医学協会の李高娃氏の1月初めの判断は正しかった。彼女の応援と励ましがなければ、私はその時に動揺し、別の選択をしていたかもしれない。私のラッキーは、皆のサポートのおかげである。すべての人に感謝する。

 1月22日になり、14日間の自宅待機期間が終わり、ようやく外出できるようになった。午前中、松本教授と大学で会う約束をしていた。小雨だったが、久しぶりに外を出てすきっとした気分になった。アパートから大学までは歩いて20分の道のりである。古都の橿原を散策しながら大学へと向かった。同じく古都の南京からきた私にとって橿原の街は、親しみやすい街であった。大学は橿原市の中心部にあり、大学附属病院もすぐ近くにある。大学の門の石壁には「奈良県立医科大学」と慎ましやかに書かれてあった。

 輸血部にある松本教授室を尋ねた。教授は、仕事や勉強、日常生活のことなどについてとても熱心に話をされ、その後、大学構内の食堂で一緒に昼食をとった。食堂には定食が5種類もあり、どれも内容が豊富で美味しい。教授の話では、以前は一卓を6人で囲むように座席が配置されていたが、新型コロナウイルス感染防止のため、今は同じ方向を向いて座り、食事中は会話禁止で、どのような時も油断せず感染から身を守るようにと注意喚起されているとのことであった。昼食後、教授が自ら大学構内、病院、関連施設を案内してくれた。大学の敷地はあまり広くはないが、建物が非常に合理的に配置され、勉強や研究するのに最適な場所だと思った。輸血部に戻り、教授秘書の松浦氏と入試当日のスケジュールと持ち物を確認し、当日は朝9時頃には大学に来ること、緊張しないで頑張ってと励ましてくれた。週末は2日間とも雨だった。私は月曜日の試験に向けて、家で最後の時間を大切に過ごした。

 

 「第3回 ⼤学院⼊試から帰国まで〜受験できた喜びを噛み締めて」につづく。